ファッションはアートなのか?


よく「ファッションはアートだ!」とか、「モードは芸術だ!」とかいう文章を目にするけれど、はたして本当にファッションはアートなのか?

今日はその辺に深く切り込んでみたいと思います。

本来この手のネタは「Alcesteのファッションブログ」で書くべき内容なんですが、いかんせんまだ推敲途中のものであるため、こちらに掲載してみました。

さて、ファッションデザイナーと呼ばれるとおり、ファッションとはあくまで「デザイン」の分野の物、と「一般的」には考えられています。

ところがファッションやモード(流行)に敏感な人たち、見識者の中には、「ファッションはアートである!」と声高に叫ぶ人たちがいるんですね。


下記のサイトにも同じようなことが書かれています。(途中の文章を引用)

http://secondlife.yahoo.co.jp/fashion/master/article/g103oakir_00092.html

「その昔「ファッションはアートか」なんてことがまじめに語られた時代があった。
パリコレクションにアヴァンギャルドを引っさげて若いデザイナーが次々デビューした70年代から80年代にかけてのことである。
一見着られそうもない風変わりな服の登場にびっくりした人たちが「ファッションはアートじゃない」とデザイナーの「一人よがり」を諌めようとしたのだ。
しかし、ミュージシャンと呼ばれていた人たちが揃ってアーティストと呼ばれる時代。
ファッションデザイナーがアーティストと呼ばれて何の不思議もない。
着られる着られない、売れる売れないの思惑を遥かに超えて新しい服。
デザイナーコレクションとはそんなアートを競い合う場所でもある」

さて、まず考えなければいけないのは、いわゆるパリコレなどのデザイナーズコレクションとかいうものが特殊な世界であり、それはあくまでブランドのCM的なものであるということです。
コマーシャル(広告)なわけですから、いかに商品を魅力的に見せるか、そのためには平気でウソ(と言うか演出)が入っていても当然なわけですよ。

車がロボットに変身する車のCMを見て、実際の車が「ロボットに変身しないじゃないか!」と怒るアホはいません。視聴者は、ちゃんとそれがファンタジー(宣伝)であることを理解しているわけですね。

それと同じで、コレクション(モード)もコマーシャルの一部なので、必ずしも現実で売るべき服が発表されているわけではないのです。
コレクションではアーティスティックな服を発表していても、それはあくまでポーズであって、実際にはきちんと売れる商品を作っているデザイナーも少なくないわけですよ。
逆にアーティスティックなコレクションで発表されたのに商品化されない服だってある。(揚げ足取りをする人がいそうなので先に言っておきますが(笑)、もちろん例外もあります)

というわけで、「コレクション=現実のファッション」とは必ずしも言い切れないはずです。

ですから、コレクションがアート的だとしても、すなわちそのファッション=アートであるということにはならないというわけです。
にもかかわらず、コレクションがコマーシャルであるということを理解していない人が余りに多い気がしますね。

それともう一つ、本来は「デザイン」とされているファッションを、あえて「アート」だと証明するためには、以下の定義をしっかりと語る必要があるはずです。

1.アートとはなにか
2.デザインとはなにか
3.アートとデザインの違い
4.なぜファッション(モード)はデザインではなくアートなのかの、個人的見解

これらを証明できて、初めて「ファッションがアートだ!」という主張をすることが出来るはずだと思うのですが…。

ところが実際は、雰囲気だけで判断して、「ファッションはアートだ!」と言っている人が多い気がしてならないんですね。

結論として、デザインの中にも芸術的要素は含まれているでしょう。逆に言うと、芸術性はデザインの一要素に過ぎない、ということです。
辞書でデザインという単語を調べてもらえればわかりますが、デザインとは「行おうとすることや作ろうとするものの形態について、機能や生産工程などを考えて構想すること。」とあります。

以前「Alcesteのファッションブログ」で、「デザインとは何か」という記事を書きました。
http://blog.alceste.net/archives/320

ここで、デザインとは、「装飾性、機能性、独創性、統一性、個別性、社会性」の要素によって成り立っていることを書いています。

アートとデザインの違いは単純にいうと、この特に機能性(と社会性)が大きいのではないかと思います。
優れた装飾性や独創性があっても、機能性(や社会性)が欠落したものはもはやデザインではなく、アートのような存在になってしまうのではないでしょうか。

注釈*1
ちなみに少数ながら、確かにアートをファッションの中に取り込もうとするデザイナーもいます。
有名どころでは、前衛芸術をファッションに積極的に取り込んだ、エルザ・スキャパレリなど。
ただ「アートをファッションに取り込むこと」と、「ファッションはアートか?」という命題とはまた別の話だと思うので、今回は切り捨てて書いています。


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コメント

  1. より:

    こんにちは。いつも本ブログ?の方を拝見していましたが、なかなか更新しないなと思ってたらこんな裏ブログがあるなんて!・・・と言うのは冗談ですがw

    個人的にはアートとデザインの違いは
    アートから「意味」を引いたものがデザインだと認識しています。
    これは山本耀司さんがおっしゃてたのを丸呑みしてました。
    「意味」とはなにか?と言われれば、よくわかりませんが。

    だから機能や売れる目的以上の、他の「意味」(意図や目的に近いかもしれない)があればそれはアートなんじゃないかと思います。

    と書いたとこでよくわからなくなったのでここらへんで失礼します。

  2. Alceste より:

    > すさん
    コメントありがとうございます。こちらで気ままなブログを書き始めてから、ファッションブログの方は、更新が極端に遅くなってしまいました。
    今では3つのブログをかけもちしています(苦笑)

    アートについての捉え方って人それぞれなんですよね。専門家でも意見が分かれるくらいだし。
    だから特に現代アートとかは、あんまり難しく考えるのは無しにして、ある程度の感覚で捉えられればいいかなぁと。あとは好き嫌いでもいいんじゃないかと思ったりもします。
    ただ書評家になったら適当ではいかんとは思いますけどね…(苦笑)

  3. tabcomjudge より:

    本日はじめて貴ブログを読ませていただきました。正しくものを見る目を持っておられる方と拝察いたします。ことにクロケットやオールデンの件、ミリ単位の件につきましてはほかの方とのやり取りを含め、興味深く読ませていただきました。貴見に心から賛同いたします。私も私なりにかなり長い間服飾というものに人並み以上に情熱を注いできたつもりでおりますが、ファッションは工芸品の域を出ることはできないというのが今の私の考えです。服飾のひとつの頂点としてクチュールがありますがそれとてその美しさ、技術という点においてメゾンの威信とデザイナーのクリエーションの粋であることは確かですがやはりそれは芸術たりえません。宝飾時計についても同じことが言えると思います。かつての岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」という言葉はもはやギャグ以下の扱いしか受けていませんが、実はこれが真理なのではないかと貴ブログを読んで思い至りました。貴殿ならこの2行でご明察いただけるのではないかと思います。

    いわゆるファッションに関しまして私は普通なものを普通じゃなく、普通じゃないものを普通に着るというのが主題です。クラシックな紳士服をレディスの解釈でもって取り組む、ということも私のテーマのひとつです。その点、トムフォードのメンズウェアの解釈には大いに賛同しています。方向は少し違いますが。ラルフローレンのスタイリングと世界観には心酔しております。買うのはブルックスブラザーズですが。クラシックへの憧憬というのでしょうか。一般市民として現実世界で大人として生活していること、メゾンとしての真摯な姿勢、物を選ぶ確かな目と見識や深い理解、そういったものを総合的に考えたとき、ほんとうに「服」といえるのはコムデギャルソンとエルメス、そしてブルックスブラザーズくらいかな、といまは考えております。

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