スーツを着る理由…雑誌の語る英国紳士の精神性の嘘


なぜ社会人はスーツを着なければならないのか?

その回答の一つは、スーツが正装として定められているからです。
クールビズも定着し、徐々にビジネスでもスーツを着なくてもよいという環境になりつつありますが、それでも冠婚葬祭ではスーツを着ますよね。
ビジネスの場でもスーツを着る、それは形骸化しようとも礼節を重んじることであり、強いては相手への思いやりに繋がるものなのです。
だからスーツを着る。ごく単純な理由です。

しかしもう一つ、スーツを着る理由があるのです。
サッカーとか見てても、ヨーロッパ出身の監督などは熱帯地域の国に行ってもスーツ着てますよね。
なぜあんな暑苦しい格好しているのか?
その理由は、服装による身分の差別化にあるのです。
結論から先に書くと「スーツは真っ当な身分の者ですよってことを現している」からなのです。

今日は「スーツ雑誌が語る英国紳士の精神性」の嘘を暴いてみたいと思います。


英国階級社会とスーツの価値観

そもそもスーツの原点は英国で、それが出来た経緯には、英国の階級社会が関係しています。

スーツの歴史と英国階級社会を論じた著作には、中野香織氏の「スーツの神話」という名著があります。
これを踏まえた上でスーツの歴史から掻い摘んで語っていきたいと思います。

そもそもがスーツの原型となっていった服は19世紀初頭であり、着ていたのはアッパークラス/上流階級(貴族階級)の人々でした。
その当時にお洒落の手本とされたのが、スーツ雑誌でも語られることの多いボーブランメルでした。

「人からお洒落と思われているうちは、まだまだお洒落ではない」という徹底した主義。
その着こなしは極力抑制され静謐で、汚れ一つない清潔であることを重きとしました。

ネックロス(当時のネクタイというかチーフに当たるもの)を完璧な状態で巻くために、失敗してしわになったネックロスを山積みにするというような異常な気合の入れ方。
それを更に悟られないようにすることこそ完璧なお洒落であると。

それがダンディズムと称され、人々はみなボーブランメルの着こなしを手本にしたといいます。

ところが時代は産業革命を向かえ、経済的には貴族達に匹敵するミドルクラス/中産階級の資本家達が台頭してきます。
しかし階級という越えられない壁を乗り越えるために、彼ら中産階級の人々はジェントルマンという理想像を作りあげます。

そして彼らはファッションにおいてもダンディズムと差別化するために、ダンディズムを徹底的に否定しました。
二年間も着続け、色あせ古びた服をお洒落に着こなし、それでもお洒落と感じさせないこと。
それこそがジェントルマンシップ!ダンディズムより真のお洒落である!と。

ようは途方も無い優越感ゲームの成れの果て、成り上がり者のファッションによる差別化に他ならないわけですが…。
「着古したものが、そしてそれを着こなしていることこそ本当のお洒落である」という思想は、今の英国紳士のファッション観にそのまま引き継がれていくのです。

よく日本のスーツ雑誌は、「英国紳士は物を大事に扱い、一生モノとして着続ける」なんて言ってますが、実際にはそれはある一面に過ぎません。

英国紳士の服の扱い方の色々なエピソードを聞きますが、例えばツイードのジャケットをわざと雨ざらしにして着古した感じを出すとか。
ピクニックに行くと、芝生にトレンチコートをひいて、わざと汚れがつくようにして味を出すとか。
もはやジーンズの味を出すために、はいたまま砂場を匍匐前進する服オタクとかと同じレベルですよ!笑

本当に一生モノとして大事に扱ってるなら、わざと汚したりする必要なんてありません。

使い古された雰囲気の物こそお洒落、という価値観の方が重要視されている。
その側面の方が強いのだと自分は考えています。
結局は英国紳士なんてもてはやしても、それはファッションというものの差別化に他ならないんじゃないでしょうか。
(昔の日本人の方が、よっぽど物を大切にしてた、着物も洋服も一生物として大事にしていたと思うのですが)

雑誌が語らない英国階級社会の問題

もう一つ、スーツ雑誌が語らないことがあります。
英国階級社会の抱える階級の問題です。
最近英国の暴動事件などにより、多少は英国の状況なども知られたかもしれません。
しかし多くの日本人が想像するのと、実際の英国はかなり隔たりがあるようなのです。

英国階級社会には、アッパークラス(上流階級)、ミドルクラス(中産階級)、ワーキングクラス(労働者階級)があります。
(ミドルクラスはさらに細分化されているようです)
一億総中流家庭な日本人の感覚だと、ミドルクラスが大多数なんだと思われるかもしれませんが、実際はそうではないそうで。

アッパークラスは貴族であり、先天的に決まっている由緒正しい家柄。
資産管理が主な仕事で一生働く必要の無い人々です。
ここにはどんなに成り上がっても、普通の人が入ることはできません。

一方のミドルクラスは上位(アッパーミドル)は豪商、企業家といったお金持ち、最低ランクでも公務員やホワイトカラーに属する人々です。
中産階級以上の人々は自分がそういう身分であることを示すために、スーツを着ています。
逆に言うとまともな服装をしていないと、まともな扱いをされない。それが英国社会なのです。

そしてワーキングクラス。意外にも多数派がこのクラスだそうで。
彼らは16歳の義務教育が終わると、殆ど選択肢無く、そのまま労働者として働く道しかありません。
仕事でスーツを着ることもないし、むしろ服装は大概無頓着。
そして彼らは労働者階級の住む街で暮らし、労働者階級の飲み屋で酒を飲み、労働者階級の人々としか繋がりがない、という生活を送るそうなのですね。

(自分が調べた範囲なので正確な情報ではないかもしれませんが)英国の大学進学率は今でこそ50%位に上がったそうですが、70~80年代は僅か5%、90年代でさえ20%という先進国としてはかなり低い状態だったようです。

彼らが成り上がるには、サッカーや音楽(ロック)くらいしかなかったと聞きます。
そもそも英国ではサッカーやロックは労働者階級の物、という意識が強かったそうですし。

そう考えると、かつて労働者階級の若者たちがこぞってベッカムのヘアースタイルを真似し、オアシスが彼らの心を捉えたのも納得いく話です。

こういった話は音楽雑誌の方が日本では詳しく説明してくれていると思います。

日本で生まれ育った自分には彼らの置かれた環境を、頭で理解することや感情移入はできても、心の底から理解することはできないと思っています。
だからロックなんかもわからないから、日本に合ったように好きなように捉えて、好きなように聞けばいいと思っています。(あくまで個人的意見として)

でもファッション雑誌(スーツ雑誌)はそういうこと許さないんですね。
社会背景も語らず英国紳士の着こなしを持ち上げて、日本のスーツの着こなしを徹底的に批判する。
しまいには騎士道精神まで持ち出してくる人まで出てきてます…(もうアホかと)

スーツは差別的なのか?

現実的にはファッションは、服装は、それ自体が差別化に使われてきた。(身分、美、社会性、民族、豊かさ等)
だから優越感を作り出す差別的構造を、無理矢理にでも作り出そうとするのもある意味自然なのかもしれません…。

確かに正統な着こなし方は(マナーとして)重要でしょうし。私自身は狭量なのでマナーのない着こなしは好きではないです。
しかしスーツの正当性を唱えるために、他の何かを咎めてまで行うのは本末転倒じゃないのか?と思うのです。

英国、フランス、イタリア、アメリカ…今ではどの国にもその国らしいスーツスタイルがあります。
日本だってもう何十年もスーツ着てきてるわけで、日本らしいスーツスタイルだって寛容に認めてあげてもいいんじゃないかと思うのです。

私はスーツが好きです。男を一番カッコよく見せてくれるのはスーツスタイルだと思っています。
今後スーツがビジネスシーンで使われなくなったとしても、ファッションとしてのスーツ、礼節としてのスーツは残るのでしょう。

でもそんなスーツが、差別的な形でしか残らないのなら、いっそスーツなんて無い世界の方がよっぽどよいのかもしれない…そう思うのは世迷言なのでしょうか…。

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コメント

  1. N より:

    初めてコメントさせて頂きます。

    自分はたいした教養も無いので、甚だ見当違いな感想になってしまうかと思いますが、自分なりにこの記事を読んで考えるきっかけを与えて頂きました。
    雑誌は今流行りのステマでは無いので、都合のいい事を堂々と宣伝したり、消費者の購買意欲を高める事も目的としていると思うので
    雑誌媒体としてはそういった台詞をつかうのが正攻法なのかと思います。
    がしかし、Alcesteさんの仰りたいのはその記事を掲載した編集者自身に、スーツの文化を美化し過ぎずに、社会的背景を含め紳士服の変遷全体を整理したうえでのきちんとした教養が無いんじゃないか。あれば日本人のスーツの着こなしを否定的な言い切り方はしないんじゃないか。
    と言う感じですかね⁇…(間違っていたらすみません)
    確かに、英国ほど日本には今現在も明らかに残るような身分の差などは残っていないと思うので、身近な感覚ではなくて
    多神教な日本人ならではの感覚なのかもしれませんね。
    カッコいいものや都合の良いものを信じてしまいますから。
    自分は日本人なので海外から観た日本に対してのイメージは、テレビでの街頭インタビュー的なものからくる想像でしかありませんが
    日本人だからといって、侍や忍者、神社仏閣、枯山水、懐石料理…などの教養を心得ている人はあまりいないと思います。
    日本人だからといって、侘び寂びを大切にしたり情緒あるものから深い感銘を受けたり、静謐な趣や美意識があるわけではありません。(あくまでも個人的な意見ですが)
    日本人でも、そこらへんの教養や精神を理解して和服や文化的装飾具などを身につけている人があまりいないように、
    イギリス人だからといって、英国仕立てのスーツをそこまでの心構えで着ている人は少ないのではないかとも思ってしまいます。
    実際には身分的にも個人的にも色んな考えを持った方がいらっしゃると思うので。
    理屈っぽい人はきちんとそこらへんをはっきりさせたがりますが
    感覚的な人からしたら「またコレか…」「いちいちそんな事考えてないから…意味わからん…」
    みたいな事を思うようなので、
    認識の統一性はなかなか難しいですが、
    教養の薄さや極端さも、着こなし方や間違え方もそれに対する意見も矛盾も、全て含めて日本人なのかと思いました。
    英国的な着こなし方に憧れて、それだけをとって日本人に強要したり、日本人を批判しても、貴方も日本人ですよ。とも思ってしまいますしね。
    「ここは日本ですよ」と言うのはなんとも簡単なので、「英国でのスーツの在り方や起源と、日本でのそれは全てを浸透・統一することは宗教を勧誘する以上に困難ですね」と思います。
    自分自身、ファッションに関してはもう完全に傍観者なので、無責任な事を好き勝手思ったり口にしたりしていますが、高座から見降ろしたような批判はなるべくしないように気をつけようと思いました。

    ややこしい長文失礼しました。

  2. alceste より:

    > Nさん
    コメントありがとうございます。

    基本的に雑誌編集側、服飾評論家は英国の社会背景まで知っているはずです。
    ただそれを語っても今まではあまりメリットが無かったので、伏せていたのだと思っています。

    欧米の着こなしをいい方向で紹介されるのであればいいと思うのですが、何かと日本批判ばかりが目に付き、正直矛盾を感じていたので。
    とはいえ、メディアでも遠山周平氏のように「日本らしい着こなし」を考えている方もいることを付け加えておきます。

  3. N より:

    各所造詣の深い方からの意見は、それぞれ重要視する観点がそもそも異なっていたりするので、何を重点に置いているかでやはり結論は変わってきますから、あくまでも雑誌の言い方の問題ですかね。
    Alcesteさんをはじめ、審美眼をもった有名な服オタ(この名詞が不快でしたら申し訳ございません)の方々の考察は勿論、その方々のブログやTwitterで名前があげられる服飾評論家の見解は、全てに目を通したわけでは無く、内容も理解出来ているか自信はありませんが、自分の未熟さを痛感するばかりです。自分なんかとは「服と向き合ってる場数が違う」と思います。
    評論家の方の意見からも、ブロガーの方の意見からも毎日勉強させて頂いております。学生時代から、更新があれば覗かせて頂いていました。これからもこっそりと覗かせて頂きます。失礼しました。

  4. alceste より:

    > Nさん
    「服オタ」という呼び名は褒め言葉だと思っています(笑)
    ほかにもファッションヴィクティムとか色々呼び方ありますが、どこか自虐的な方が性に合っている気がしています。
    自分は大それた存在でもなんでもないので、気軽にツイッター等でも絡んで頂ければ幸いです。

  5. Hikaru より:

    初めてコメントさせていただきます。
    「スーツの正当性」というワードにとても違和感を覚えました。
    スーツ雑誌は何か抵抗勢力によってスーツの存在価値を否定されているのですか?そうでなければ「正当性を唱える」必要は無いはずですが。都合の悪い事を言わないのはスーツ雑誌に限った事ではないでしょう?
    階級等の歴史や背景を知らずに浸透していった方が差別的な形では残らないと思うのですが。
    イギリスだけではなくイタリアだって歴史がありますよね。雑誌がイギリスのスーツばかり特集している訳ではないと思います。
    日本のスーツスタイルとはなんでしょう?量産格安品を着る事ですかね?歴史を紐解くなら昔はもっと素晴らしい仕立てのスーツを着ていたと思いますが。失われつつある技術の継承を測る業界からの意図も雑誌には影響しています。技術の存続をはかるにはスーツがどういうものか消費者に知らせる必要があるでしょう。そのひとつの要素としてブランド化を測っただけでは?緻密で丁寧なものづくりの技術という素晴らしい日本らしさが失われる事を「よっぽどいい世界」と言えてしまうのは悲しい事です。

  6. alceste より:

    > Hikaruさん
    過去の記事については読まれていただけてないようで、またこの記事についても曲解されているように感じます。
    私自身は身内に仕立て屋がいたこともあり、日本の技術等については多少なりとも考えているつもりです。下記のような以前の記事なども読んでいただければと思います。
    http://blog.alceste.net/archives/340

    その上で反論させて頂きますが、今のファッション雑誌は都合の悪いことを語らないのではなく、多くの場合片面提示しかせず、そして否定の上に正当性を語っています。そこが問題だと提示しているつもりです。
    そういう流れの元、丁寧な物作りの技術は随分前に充分に失われてしまっていると思うのですが、どうでしょうか。

  7. Hikaru より:

    自分で書いておいてなんですが、おっしゃる通り一つの言葉に噛み付いて書かれている記事の意図を理解していませんでした。大変失礼しました。ご返答も、以前の記事も拝見させていただき、なるほど。と感じました。
    自分がスーツに携わる人間でしたのでご指摘されている問題点に気付く事無く乱雑な指摘(にもなっていないですが)をしてしまいました。お許し下さい。
     丁寧な物作りの技術は随分前に失われたとおっしゃいますが、それに関しては私の知らないほどの技術や知識は確かに失われているかもしれません。失われていった事実自体を知らないかもしれません。しかし、仕立て屋で丁稚奉公をして修行された「職人」と呼ばれる最後の世代の方々から、我々は技術を学んでいる最中です。彼らが針を置くまであと数年もないでしょう。その間に、全ての技術は無理だとしてもその精神までは引き継いでいきたいと、焦りにも似た気持ちを抱いています。その中で、「技術が残っていない」とはせめて思いたくないのです。
    そんな折りに、雑誌等でスーツがフィーチャーされる事が多くなった昨今は、どんな形であれ、微かでも残った技術やそれを継承していこうという姿勢にスポットが当たる可能性が大きくなって来た事に喜びを覚えるのです。そういった感情から、スーツが無い方が・・・というワードに苛立ってしまったのかも知れません。
    ただ、それがどんなに生き残らせるための手段だとしても、否定の上に成り立つものでってはいけないですね。

  8. M より:

    はじめまして。
    英国史に興味があるものなので、興味深く記事を拝見したのですが、まずブログ主さまは英国の社会状況を勘違いされてると思います……。
    まず、今はいわゆる階級制度というものは昔の労働者階級、中流階級、上流階級ではわけられなくなっています。階級は、生まれ育った家庭の文化と捉えたほうがわかりやすいかと思います。
    また、労働者階級がスーツをあまり着ないとおっしゃいますが、会社の一般社員も労働者階級ですので、スーツ着用が必要なオフィスなら、普通にスーツ着ています。工場や農場の現場労働者はスーツを着る機会は少ないですが、それは日本でも同じではないでしょうか。
    なので、別に階級表すためにスーツを着てるわけではないし、また着ていないことが労働階級を表すというわけでもないと思いますが。
    また、労働者階級のために一言申し上げますと、先のロンドンの暴動ですが、あれは労働者階級のみが暴れていたわけではありません。いわゆる中流階級も含まれておりました。また、サッチャーの葬儀で批判的だった層も労働者階級とは限りません。念のため。

    大学進学率についてですが、英国の場合はフルタイムの高等教育進学者とパートタイムの高等教育進学者がいて、2008年でフルタイム(毎日進学する場合)の進学率は66%で、日本より多いです。 http://resemom.jp/article/2012/03/26/6969.html
    OECD諸国の比較グラフをごらんになればわかるように、http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2013/04/17/1333454_11.pdf 1990年代初頭の時点で、イギリスの大学進学率は日本を抜いておりますが、どこの情報をごらんになりましたか?(ちなみに、ドイツの進学率がこれだと低いですが、あの国は日本の高校生にあたる頃には大学に進学するか技術職に行くかで篩い分けが行われているためかと思います)
    日本の大学進学率がOECD諸国の中で低めなことは大変有名です。

    また、英国の労働階級の状況ですが、別に「選択肢がない」わけではないですし、「16歳で就職する」人ばかりでもないのですが。特定階級でしかつきあいがないというわけでもありません。
    同じような職業の人、同じような家庭環境の人とのつきあいが多いというのは、日本でもよくあることだと思いますが、英国もそれと変わりはありません。
    たとえば、日本でも大企業の一般社員と重役が気軽に友達づきあいをすることって少ないと思いますが。
    ただし、英国の階級というものは可視化されている分、文化と密接に絡んでいることもあり、労働階級の家庭で教育が重視されず、進学より労働を選ぶという風潮もないわけではないと思います。日本でも、特に地方で家が商売したり農業したりしていたりすると、いまだ高校を出れば十分と考える方もいらっしゃいますよね。それと似た感じです。
    イギリスでは日本の高校というものは、大学進学のための予備校のようなものに相当するため、大学進学を希望しない人たちは、16歳で手に職をつけようと考えるのは自然なことかと思います。

    また、階級をこえた交流がないわけではありませんし、労働者階級が多い地域というのはともかく、労働者階級のお店なんて今は存在しておりませんが……。
    たとえば、キャサリン妃の両親だって、母方は労働者階級ですが、父方は中流階級です。そして中流階級育ちのキャサリン妃は、上流階級の人間が多数通う大学に行き、ウィリアム王子と出会い、結婚しています。
    また、上流階級=働く必要がない というわけではないです。特に現代では……。土地所有に課税されるようになって以来、貴族=上流階級の没落と、アッパーミドル(裕福な中流)は、かの国でもよく言われていることです。

    ブログ主さんの各国における、それぞれのスーツスタイルを尊重すべしという考え方には共感いたしますが、英国の社会情勢を思い込みで見ていらっしゃるようでとても気になりました。雑誌が都合が悪いことは書かない、日本流を批判するのは間違っていると指摘されたいのなら、正確な情報に基づいて批判されるべきではないでしょうか。
    英国の階級社会に問題はないとは言いませんし、階級文化というのは社会の病巣でもあるでしょう。ただ、階級という形で可視化されていることで、それを改善しようとする人々も少なからずいます。というか、経済としての階級ということなら、日本だろうがアメリカだろうがあると思うのですが……。

  9. イギリスの偽善・欺瞞 より:

    何故この「M」という輩は必死になってイギリスを
    弁護するのだ?理解に苦しむ。

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