クラシックスーツから見るメンズモード4つの分類


モードの世界でも、メンズではほとんどのデザイナーがスーツを作っています。
むしろスーツを作らないデザイナーの方が珍しい。

それはデザイナーたち自身が語るように、メンズ服には制約が多いこともあるでしょう。
しかし逆に自分はメンズを作るデザイナーは、スーツにこそ、その力量が出てしまうと考えています。

かつて一度紹介していますが、服飾評論家の落合正勝氏はメンズモードのデザイナーに対してこのように語っています。

「彼らは一見新しいスーツをデザインしているように見えるが、決してそんなことはない。クラシック、つまり英国のスーツを根底に、それをどんな風に砕くか腐心しているに過ぎない。砕くというと語弊があるかもしれない。新たなクラシックを構築しようとしているのだ」

「一流のデザイナーたちは、クラシックを学習し、学習の後に、それを元に服をデザインしている」

そこで今回はクラシックスーツの観点から見たメンズモードを分類してみたいと思います。
各デザイナーがクラシックスーツに対してどういうスタンスを持っているのか、
それを知ることによって、より理解が深まることもあると思うので。


結論から書くと、自分の考えるクラシックから見た分類は以下の4つです。

1.クラシックを意識しない
2.クラシックという枠を崩さずにデザインする
3.クラシックをアレンジし、流行を追う
4.新しいクラシックスタイルを作り上げる

1.クラシックを意識しない

クラシックスタイルや、テーラリングなどを一切無視してスーツを作るデザイナーです。
本来はクラシックスタイルを流用した方が楽だとは思うのですが、ここに分類されるのは、そこを無視しきる実力があるか、もしくは全く理解してないデザイナーでしょうか。
レディース的だったり、過小評価されがち、もしくはぶっ飛んでる場合が多いのではないかと思っています。

例を上げるならato(アトウ)。
atoは立体裁断を用いるだけでなく、芯地を省き襟芯すら入れないようなジャケットを作っています。
その手法はレディース的だと自分は思います。

クラシックの制約を意識しないゆえに、肩の合わせ目やらにダーツを取ったり、マーメイドラインすら入れかねない。
そうやって出来たカッティング重視の服は、芯地を入れることによって体型補正するクラシック的スーツに比べて、着る人のスタイルの良し悪しが直接出てしまう物であると思います。

また逆にクラシックの積み重ねや機能を無視して、安易に(または無知に)ラグランスリーブのテーラードジャケット作ったりしてしまうようなデザイナーもいるでしょう。
なぜ袖付けが今の形になったのか。それを理解して更に超えることの出来るデザイナーだけが、この分類の中で認められるのではないかと考えています。

2.クラシックという枠を崩さずにデザインする

クラシックスタイルを踏襲した上で、その制約の中でデザインをするデザイナーです。

例を上げるなら、「ひねりを加えたクラシック」と称されるポールスミス。
かつてクラシックスーツにビビッドカラーを持ち込んだオズワルドボーテングなどでしょうか。

ここに分類されるデザイナーについては、以前ポールスミス関連の記事で詳しく書いています。

ポールスミスがうける理由
ポールスミスが嫌われる理由

クラシックスタイルを尊重するけれども、そこにどこか一点を崩したり、加えてみたり。
その制約の中でどれだけ面白い要素を入れ込めるかが肝になるのだと思います。

クラシックスタイルとは(多少の流行はありますが)すでに完成されているもの。
それを守るがゆえに安定感はありますが、逆に面白みに欠けるという短所もあるでしょう。

ちなみにコムデギャルソン オムプリュスの大抵のシーズンはここに分類されると思います。
プリュスが他と違うのはクラシックスタイルに敬意を払いつつも、そこに足されるアイディアが激辛、なのだと考えています。
逆に言うなら、激辛であればあるほど他の箇所はクラシックスタイルを踏襲するのが今までのプリュスだと考えています。

3.クラシックをアレンジし、流行を追う

作りはクラシックスタイルのままだけれど、ディテールやらシルエット、サイジングを少し変えて流行を作り上げるデザイナーです。
モードでは多くのデザイナーがここに分類されるのではないかと思っています。
とはいえ、それは流行が過ぎれば古臭いものになりがちです。
流行を作り上げられるか、流行に合わせるだけなのかが、この分類のデザイナーの実力差だと思います。

ジャケットのボタン位置を変えてみたり、ポケット位置を変えてみたり。
クラシックで決められた黄金率を安易にいじれば、どこかに不細工な箇所が出来てしまうでしょう。
それを超えて新たな黄金率を作れているかというと、そういった天才は希少で、多くのデザイナーが失敗しているように思えてなりません。

というわけで自分は個人的にここに分類されるデザイナーが好きではありません。
そしてクラシックを超えて更に新しい物を作り上げられる天才だけが、次の4の分類になるのだと考えています。

4.新しいクラシックを作り上げる

既存のクラシックを壊し、全く新しいスタイルを作り上げるデザイナーです。
それは新しいクラシックスタイルにまで昇華されるでしょう。

例を上げるとアルマーニ。
アルマーニはバブル期の印象が強すぎて、今では過小評価されてしまっているデザイナーではないかと思います。
多分このブログを読んでいるような服好きにとっても、アルマーニのイメージは決して良くないでしょう。

しかし再度落合正勝氏の言葉を借りれば、

「ある時代にまたカルダンやアルマーニのような偉大なデザイナーが誕生し、既製服の概念を塗り変える可能性はある。
(中略)僕はその未来の時代にあっても、クラシックスーツは変化していないだろうと信じている。すべては歴史の判断にゆだねるしか方法はないが、僕は、そのときクラシックなスーツと並び、クラシックスーツとは違ったカタチで、アルマーニの服だけは残っていくのではないかと、ひそかに想像している」

と、アルマーニが新たなクラシックスタイルとして残っていくとまで称しています。

また同じく服飾評論家の遠山周平氏の「背広のプライド」では、アルマーニはこのように語られています。

「アルマーニ以前の紳士服は、服を体にフィットさせながら動きやすさを追及するというものでした。しかしアルマーニスーツは違います。体の線を布で包み込むようにして隠し、柔らかな布地と独自のカッティングで流れるようなボディラインを作りだすのです。しかもアルマーニスーツは、「従来のテーラード技術を根本からブチ壊したもので、私は頭が狂いそうだった」とトマチェリが述懐するように、肩まわりの構造やアームホールの作り方が従来の方法と異なるのです」

アルマーニは誰が着てもカッコよく見える魔法のパターンを作り上げた天才デザイナー、というのがクラシックから見た人たちの意見のようです。

流行を超えて、定番と化したスタイルを築いたデザイナーは確かに存在すると思います。
その点ではヨウジもこの分類のデザイナーに入れたい。(と個人的には思うのですが)
そしてもし生きていたら、きっとアレキサンダーマックイーンも、ここに分類されるデザイナーになったのではないか?と想像せざるを得ません。

しかし天才によって築かれたスタイルは、そのデザイナーの死と共になくなってしまうのでしょうか?
それとも多くのデザイナーに影響を与えて引き継がれていくものもあるのでしょうか?

分類を述べた最後に、モードの帝王と呼ばれたジョルジオ・アルマーニの言葉で締めくくらせてもらいたいと思います。

「人はモードの犠牲になるべきではない」と。

SNSでもご購読できます。