指輪物語の映画化「ロード・オブ・ザ・リング(The Lord of the Rings)」についての評論(後編)です。
壮大なスケール感や、指輪物語の世界観をここまで映像化したのはすばらしいと思います。
しかしその反面ドラマは大味で、各キャラクターの動機付けが丁寧に描かれていないため、いまいち感情移入できないんですね。
戦闘シーンは繰り返し感が強く、乗れた人はよいものの結局ここで乗れない観客は置いてきぼりを食らってしまう。
この映画本来のテーマは別の所にあるわけで、表層的な戦闘シーンはもう少し少なめでよかったのではないでしょうか。
唯一の救いは灰色キャラクター、ゴラムの存在なのですが(冒頭からゴラムの動機を描いていることからもキーパーソンであることは明らか)、しかしフロドがゴラムへ共感していく描写があまりに少ないため、最後の指輪を捨てるシーンへの悲哀が描けてない。
この映画の中では、剣は男性を、指輪は女性を象徴しています。
折れた剣を鍛えなおし、不能から王(男性)に戻ることが出来たアラゴルンはハッピーエンドを迎えたものの、指輪(女性)を失い指を食いちぎられたフロドは不能となったわけで、今後生き残ったとしても一生孤独で過ごすしかないわけです。
一方ゴラムは指輪を追い、「胎児のような格好」で幸せそうに火口へ落ちていく…。
もしフロドが、ゴラムを自分の未来像として共感していく描写があれば、火口へ落ちるゴラムに対しての羨望と悲哀をもっと描くことが出来たはず。
そしてその後フロドがサムの腕をつかみ、今後苦悩しかない生をあえて選ぶ決断も感動でき、エンディングで結局船で去っていくことによってしか開放されなかったフロドの孤独にも共感できたんじゃないかと思うんですね。
(最後船に乗り込んで去っていくフロドの、つき物が落ちたような笑顔が印象的でした)
結局フロドとサムの友情を描くより、フロドとゴラムの奇妙な友情とフロドの孤独を描いた方が、もっと傑作になったんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか?
映画「ロード・オブ・ザ・リング」をぶった斬る!(後編)
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コメント
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いつも、本体ブログとこちらを読ませてて戴き、楽しませてもらってます。
僕も、指輪三部作を封切時に順じ楽しんだものですが、Alcesteさんの持った感想は僕も持ったのですが、うまく理論的に言えないのですが、オーラスでのお伽話的な展開に「あ、原作はジュブナイル(少年少女向け)だったっけ(笑)」と不意に思い出し、「それならこれであり」と思いました。つまり、これを読んだり観たりして「面白いけど、なんだか...」と思った少年少女は自分で次を探す気になるのだ。乱暴なコメントですいません。
「ロード・オブ・ザ・リング」は批判している人が少ないんですよね。
絶賛する人が多かったのですし、オスカーも取りまくっていましたし。でもたしか脚本賞にはノミネートされてなかったんですよね。
脚本家たちが「主人公が何のために冒険しているのか、その目的がわからなくて」
脚本書くのに迷ってしまったという逸話もあるくらいですから(笑)
確かに原作は、ジュブナイル小説としてもそうですけど、大人の観賞にも耐えうる面白さがありますね。
つまり、「七人の侍」でさえ最初の脚本のアイディアで賦与されたキャラの枠を超える事は無いのですが、「自分拠り社会的身分の下の者に雇用される」とゆうツボが最後まで効いているので、そこらへんは、少年少女小説は悪に対して純粋に善たる者がいて弱者と思われた者(ホビット)が、決め手と文章だと説明と説得力を持つのですが...映像だと決まりが悪い感じになりがちです。
ただ、映画の力を再認識させたのが魅力ですし、今は、観る方の映画消化力が落ちているので、ここらが限界じゃないでしょうか。
80年代の「エクスカリバー」の方が個人的には上だと思ってますが(笑)。
> テルさん
なるほど、と言った感じです。映画消化力というのは面白い言葉ですね。確かに消化力は落ちているのかもしれません。
いい作品より宣伝力の方が強い作品が、取りざたされるのは少し残念ではあります。
しかしエクスカリバーがでてくるとは!(笑) 自分もかなり好きでした。
ファンタジー物では全く個人的好みなんですけど、レディーホークというのが大好きでした。
愛し合う恋人同士を引裂く呪い、とそれを助ける少年盗賊という組み合わせが、自分のツボを直撃した作品です。まぁそこまですごい作品ではないので、ホント個人的ですけど。
いやいや、そのツボが大切なんですよ。
「レディホーク」は一日のある時間しか人間の姿でしか逢えないアイディアが映画の魅力なはずです。中村勘三郎じゃ無いけれど
「型が有るから型破り、無ければ型無し」と
言っております。(こっちでパタンナーのオチだ...)