服オタはなぜコムデギャルソンを叩くのか?


お洒落の終着駅と称されるコムデギャルソン。
ファショコン通信のブランド紹介文では、こう言い切られています。

「人目もはばからずギャルソン嫌いを公言する人は、考えられるあらゆる批判に配慮した、一端の論文がかけるくらいの知識を得ておく必要があるだろう」
http://www.tsushin.tv/brand/paris/garcons.html

もはや名言といっても過言ではない評言ですよ!(笑)

にもかかわらず、コムデギャルソンを批判する、時に毒舌で切りまくるブログや人が後を絶たないのは何故なんでしょうか?
(コムデギャルソンを着てる人を批判するのは、また別の話ってことで…笑)

今日はその辺の微妙な問題(笑)に迫ってみたいと思います。


現在のコムデギャルソンは唯一絶対の評価と人気を持つデザイナーズブランドです。

かつてはモードを否定する立場だったといわれつつも、今やモードの中のモード、アルマーニならぬ、前衛的なモードの帝王と化しているといっていいでしょう。

コムデギャルソンと並び称されるヨウジヤマモトは、比較的コアな層のテリトリーの中で、独自のモード観を形成しています。

コムデギャルソンに勝るとも劣らない人気を見せるヴィヴィアンウエストウッドは、ヨウジとは逆に絶妙なバランス感覚で広いファン層を獲得しているため、評価が多面的にわたっている。

なので両者は批判の対象には上がりにくいのだと思います。
ヨウジは同じ観点を持つもの同士だから批判、反発しあうことが少なく、ヴィヴィアンは価値観が違いすぎるほど広い範囲を持つゆえに批判が分散されてしまう。

その点、ギャルソンは公言していることと実際やっていることに非常に大きな矛盾を含んだブランドです。その膨大なファン達は表面下ではその矛盾を常に感じながらも普段は矛盾に触れないようにしている。

だから一度誰かが矛盾を指摘すると、そのファン達の矛盾に関する想いが一気に吹き出てしまうわけですよ。

そういう意味では、非常に議論栄えするというか、矛盾に対するファン達の想いが強すぎるというか…。つまり批判の対象にするのに抜群のポテンシャル(潜在能力)を持っているわけです(笑)

それといわゆるギャルソン信者といわれる熱狂的なファンは、他のブランドのファン層とは一線を画しているというのもあります。

ギャルソン(川久保玲)は非常にブランディング、ブランドイメージのコントロールのうまいデザイナーズブランドです。
下手をすると、ラグジュアリーブランド以上の高い評価と人気を持っている。しかも他のインポートのデザイナーズブランドよりも安価で手にできる上に、前衛的、芸術的というおまけまでついてくるわけですよ。はっきり言ってお買い得です(笑)

その信者の多くはギャルソンの高い評価とブランドネーム、そして前衛的デザインというものに非常に安心感を得ているわけです。
デザインが好きで買っている、そういいつつも、ブランドイメージなくしてはそのデザインも意味を成さない可能性がある。

なぜなら、コムデギャルソンはまた、非常に本質を掴みにくいブランドでもあるからです。(あんまり本質という言葉自体は使いたくないですが)

長年のファンを自称しながらも、自分の考えているギャルソンの本質というものが正しいのかどうか確信が持てない。
百歩譲って縫製レベルがわからないのは仕方ないにしても、デザインのレベルについても自身では判断がつかないかもしれないのです。
もちろん表層的な個人的感想は言えるでしょうけれど。

特にその傾向はメンズでは顕著だと思います。
プリュスは毎回のように「クラシックの破壊と再構築」というテーマを持ち出してきますが、そのテーマを具体的に明確に答えられるファンはとても少ないのではないでしょうか?

熱心な信者でなければ、好きだから、気に入ったからという詭弁的な理由でもすみますが、信者である以上、そのデザインの本質をわからずに着ているとは思われたくない。
熱心な信者であればあるほど、その難しい本質をわかっていないと公言することが怖くて仕方ないわけです。
まるで「2001年宇宙の旅」の評論を求められたコアな映画ファンみたいなもので(笑)

ですからギャルソン信者は、ギャルソンという唯一絶対な存在を手にすることによって安心しつつ、逆に深層心理では手にしてしまったことに疑問と不安を常に感じることになってしまいます。
「はたして自分はこのブランドを表面的にも内面的にも着こなせているのだろうか?」と。

ギャルソンに限った話ではないですが、服オタは「自分はまだお洒落には遠すぎる」という、常に激しい劣等感を持ち続けているもんだと思うんですね。
それが、ギャルソン信者の場合はギャルソンという掴みきれないものが巨大であるがゆえに、余計に強烈な劣等感を持ってしまうのではないでしょうか。

ギャルソン信者はその不安を解消しようと更に深みにはまり、やがてそれが極限に達すると自己存在理由(レゾンデートルって言葉使ってみたかったんですよね…笑)にまでなってしまう。
そうなるともう、ギャルソンを否定されることは自分自身を否定されることと同じわけです。

矛盾だらけの聖書を正当化するために全精力を注ぐ、キリスト教原理主義者みたいなものです。
信者は自己正当化するために矛盾だらけ弱点だらけのギャルソンの絶対的存在を証明しなくてはならず、そうなるともう周りの批判さえ聞こえなくなっていくわけですよ。

それが見える人の中には、ギャルソンの矛盾を批判、ツッコむことに至福を感じてしまう人もいるってことです。


唯一絶対のギャルソンを否定された信者達が、全精力を上げて正当化しようとする反応をみて悦に入るってところでしょうか。
ギャルソン批判が強烈であればあるほど、劣等感を刺激された多くの信者達の反響があり、それがギャルソン批判をする人を更に助長することにつながっているのだと思います。

また批判や悪口というのは実は簡単なように見えて本当は難しいことなのです。的外れな批判はその人物の理解力のなさを露呈してしまうわけですし。
だから唯一絶対なるものに見えるギャルソンを的確に批判できるということは、その批判者自身がまるでギャルソンの本質がわかっている…という自己満足にひたれるわけですね。
「ギャルソン批判できるオレ、わかっててカッコイイ!」みたいな(笑)

でもそれすらも誤解なわけですが。

先ほどから上げているように、ギャルソンは一見唯一絶対的なものに見えて、実は矛盾だらけでツッコみやすい代物だからです。
ギャルソンを否定することは実は簡単で、その信者を翻弄することは誰にでもできることなのです。
(例えば「プレイ着てる奴らはギャルソンの本質をわかってないよ」といっただけで、掲示板大炎上ですよ…笑)



ですから逆に、ギャルソンを色眼鏡で見ずに本当の意味で理解して解体できる、それを批判ではなく的確に賞賛した文章を書くほうが、よほど難しいものなのではないでしょうか。
事実ギャルソンのデザインを賞賛した文章には、まとまりに欠けていたり、なにか的外れなものが多いのではないかと感じています。

とにもかくにも、ギャルソンは良くも悪くも批判されやすく、そして的確に語られにくいブランドなのだと思います。

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コメント

  1. もり男 より:

    はじめまして、ブログ通信でAlcesteさんのブログを見ててそこから飛んできました。AlcesteさんやUGさんの記事は見てて非常に面白いですね。服オタならではの切り口が服好きとは違った目線で語られてるので、ほうほうとうなずくばかりです。単純に文章を書く力もすごくあると思いますし。
    もちあげてみました(笑)

    コムデギャルソンについての記事についてなんですが、僕の場合ギャルソンとヨウジについてはあえて回避してきました。情報の回避とでもいいましょうか。僕も服飾の専門学校を出てるのでギャルソンやヨウジがどのような経緯を辿ってきたブランドで、どのような服作りをしているか表面層ぐらいは分かっていますが、だからこそいろんな服を着て経験を積んでから知りたいブランドなのです。バイクに乗る時初め原付から乗って、ミッション→250cc→400cc→大型→ハーレーといった感じでしょうか。いきなりハーレーに乗っても上が無いので後々の楽しみがないですし、もっといいバイクに乗りたいとゆう気持ちに想いを馳せるのが僕の楽しみ方なのです。もちろんブランドに上下をつけるなんて滑稽なことだと思います。しかし自分にとって特別なブランドは確かにあるのです(他にはエルメス、ポエル、ロロピアーナ)。なのでギャルソンが現在どんな服を作ってるか知りませんし、ギャルソンの店にも行ったことが無いのです。情報のコントロールをすることで後々の楽しみを取っておこうといった感じですね。エビフライは最後に取っておこうといった感じでしょうか(笑)なので時季が来ていざコムデギャルソンの店に行って服を見た時、先入観や偏見などなく、少しの期待とピュアな気持ちで商品を見て着ることができると思うのです。だってほとんど情報を知らないんですから。僕はそんな楽しみ方が好きです。話がずれてすみませんが、これが僕のコムデギャルソンに対する意見です。




    混むでギャルソン(関西弁)

  2. テル より:

    こちらにも、書き込みさせて貰います。
    僕は、ヨウジ信者(の割には浮気する)ですがギャルソンもジュンヤも割と好きで少量所持しております。ヨウジやヴィヴィアン、イツセイは、技術的な伝家の宝刀がありファンもそのツボを突かれると弱い面が有ると思います。その点ギャルソン(ジュンヤマンもかな)は、アイディアが優先し、実際に作れないけど、その衰えない特殊な審美眼を持つ川久保さんの意志が上手くフィニッシュして商品になる時と、ならない時があると、僕は勝手に思ってます。(アイディアが駄目な時も有りますが、其処を批判するとアバンギャルドを標榜してるメゾンだけに批判する人間が時代遅れと思われてしまったりして、それは多分本人が余程キャラが無いと不安になるんじゃないかな)意外と他のトラッドな感じと合わせ易かったりするし。こちらも乱暴な書き込みですいません。本筋のレスまで行きませんでした。又、稿を改めて。

  3. あい より:

    >矛盾だらけの聖書

    クリスチャンの私にとっては、この一言は見逃せませんでした。どこがどういうふうに矛盾しているとおっしゃるのでしょうか?

  4. Alceste より:

    > もり男さん
    ブログ読んでもらえて、嬉しい限りです。
    クラシックな(普遍的な)着こなしや服装を身につけてから、ギャルソンなどのデザイナーズブランドを着るようになるというのはとてもよいのじゃないでしょうか。モード好きな人であれ、やっぱり着こなしの基礎がわかっていると応用力があるような気がします。
    まぁでもおいしい物は最後までとっておくというのも良いですし、少しずつ味わっていき堪能するというのもいいですね。まぁ気軽にギャルソンを見てみても面白いと思います。
    確かに余計な先入観がなくニュートラルな視点でみることも大切だと思います。そんな気持ちは常々もっていたいですね。


    > テルさん
    確かにギャルソンの特にプリュスはシーズンによって、良い時と悪い時ありますよね。実物は良くてもテーマがそんなでもないときや、テーマはいいのにそれがうまく形になってなかったり…。そういう遍歴も面白いところではあります。
    メンズラインであるプリュスはクラシックの破壊と再構築をテーマにすることが多いのですが、デザインによってはかなりトラッド、クラシックなスタイルとあわせやすい物も多いと思いますよ。自分は結構地味な物を買ってますね(笑)


    > あいさん
    基本的には旧約聖書についてですかね。ダーウィンの進化論や聖絶についての解釈などがそれに当たると思います。
    自分は専門化ではないので、ツッコまれても答えられないので(笑)、下記のページなどで詳しく解説されているので、そちらで質問してみてください。

    江札宮夫さんの「聖書の呼ぶ声」
    http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/hyosi.html
    まぁクリスチャンの人は聖書を信じて、そうでない人は信じなくてもかまわないという各々の価値観があるってことでよいと思うのですが。

  5. あい より:

    はっきりいって呆れました。
    聖書を批判しているあなたに質問したのに、なぜ他人にその回答を求めなければならないのでしょうか?
    無責任極まりないですね。
    別にあなたにキリスト教の価値観を押し付ける気はありませんが、キリスト教をよく知りもしないのに公然と批判するのはいかがなものかと思いますよ。

  6. Alceste より:

    > あいさん
    う~ん、一応マナーを守ってコメントして欲しいのですが。

    別に聖書を批判したつもりはありません。
    それともクリスチャンの方にとっては、「聖書に矛盾がある」と言っただけで「批判」してることになるんですか?

    それとちゃんと質問には回答しています。
    一般人から見ると、ダーウィンの進化論と聖書は矛盾していると思うのですが、「いや、矛盾していない」と解釈する人もいるみたいですね。まぁそれはそれでいいんじゃないでしょうか。

    質問に対する回答以上のことが聞きたければ、専門家の人に聞いてくださいといっただけなんですけれど、気に障ったらすみませんでした。

    記事自体とは関係ない話なので、この話題はこれで終わりにしてください。すいませんがよろしくお願いします。

  7. あい より:

    あるものが矛盾だらけだと言うことは、それを批判(誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと)していることと同じことだと思いますけどね。
    確かに、あなたは矛盾すると思う箇所を挙げてはいますけど、それがどういうふうに矛盾しているのかには回答していません。
    このブログで「人目もはばからずギャルソン嫌いを公言する人は、考えられるあらゆる批判に配慮した、一端の論文がかけるくらいの知識を得ておく必要があるだろう」という文を名言だなんておっしゃっていますけど、これは公然と聖書を批判する人にとっても同じだと思います。
    クリスチャンにとって聖書はギャルソン以上のものなのですから。
    ※これ以上の回答は求めません。そちらもお望みではないようですし、批判的なコメントを書き込むことは、あなたの考えるマナー違反ということのようですので。

  8. q より:

    たまたま見ましたけど、

    聖書について言及するには「考えられるあらゆる批判に配慮した、一端の論文がかけるくらいの知識を得ておく必要があるだろう」

    をまさに地でいってしまいましたねw

    感想としてはクリスチャンってやっぱり彼らの信ずる神と同様不寛容で劣等感の塊なんだなあということです。まさにあの父にしてこの子ありw などと、こういう態度を取ったら彼らの信ずる神をも誤解させる結果になるのになと思いました。

  9. Alceste より:

    > qさん
    教派によって聖書のとらえ方も大分違うようです。
    いわゆるキリスト教原理主義の福音派(ファンダメンタリズム)のような方々は、かなり聖書を神聖視しているようで、そういう人たちがついつい熱くなってしまうのでしょう。

    聖書の矛盾については、下記のサイトで存分に書かれています。
    http://www.j-world.com/usr/sakura/
    こちらは読んでも面白く参考になります。

    別にクリスチャンの方々をどうこう言うつもりはないのですが、
    例の人については、「キリスト教の価値観を押し付ける気はありませんが」といいつつ、ぶしつけな言葉でマナーも理解せず、自分の価値観を押し付けまくる態度は、いかがなものかと思いますね(笑)

    ま、ホントに「触らぬ神にたたりなし」ってところです(笑)

  10. cream より:

    マナーを言うならAlcesteさんも理解してないんじゃないでしょうか?宗教に熱心な人なら自分の宗教について矛盾があると書かれて、しかもその矛盾について自分じゃ詳しく答えられないとか言われると呆れてしまいますよね。これなら最初から宗教に関する言葉を使わないほうがいいでしょう。無責任です。熱心な宗教家からの反論が出る事なんて簡単に予想できるんですから。

  11. Alceste より:

    > creamさん
    「宗教に矛盾がある」なんて一言も言ってないですよ。勝手に解釈しないでください。旧約聖書の場合、歴史的な事柄などを編纂してつくられているので、一部つじつまが合わない(矛盾した)部分もでてくるのはしょうがないところだと思います。その点は紹介したサイトやその手の書籍なども参照してください。

    それを「矛盾してなんかいない」と無作法な言い方をしてくるのはマナー違反の上に、常識的ではないと思われても仕方ないでしょう。

    宗教の場合だけ別格扱いしろというのも変な話ですよね。
    まぁこちらの配慮が足りなかったのかもしれませんが、あの文章のたった一言でいちいち突っかかってくる人がいるとは普通思いませんから。

    それから宗教話は、記事と関係ないので、もうこれ以上書かないでください。書かれた場合でも削除しますので。ご了承ください。

  12. mmm より:

    「先ほどから上げているように、ギャルソンは一見唯一絶対的なものに見えて、実は矛盾だらけでツッコみやすい代物だからです」
    と言って 矛盾点はどこにも明記されていない
    貴方の論理展開が一番矛盾だらけで誤解を招きやすいと思いましたし
    貴方の持っている世界観は矛盾だらけで間違えていると言われて
    いい気持ちがしない事を常識的に理解したほうがいいと思います

  13. alceste より:

    > mmmさん

    > 矛盾点はどこにも明記されていない
    矛盾点は幾つか挙げています。
    「アンチモード」と言われつつモードの主流として扱われていること。
    川久保玲が、前衛的、芸術的と言われつつ、実はブランディング(ブランドコントロール)の上手い商才のあるデザイナーであること。
    メンズではクラシックの破壊と再構築をテーマに上げているけれど、そのテーマの意味が伝わってないことなど。

    もっと具体例を上げろと言われれば幾らでも挙げられます。とはいえ、本文中には書いていませんが、他のエントリーでもギャルソンの話題には触れているのでもしよろしければそちらも読んでみてください。

    また論理展開としては、正しく批評、批判することは難しいが、ツッコミ(否定)することは簡単である。と言っているつもりです。
    ご理解いただけなかったのでしたら残念です。

  14. vip より:

    やっぱクリスチャンはマジキチだなぁ
    管理人さん、このテのは相手するだけ時間の無駄ですよ( ^ω^)

    コムデの記事中々面白かったです!

  15. ちりりん より:

    記事自体は的確で興味深い内容なのに、コメント欄が残念。

    素直に謝ればこんなに荒れることもなかっただろうに…

  16. あい→cream→mmm→ちりりん(笑) より:

    なんなんだろうね、「素直に謝れば」って。(笑)
    ここの管理人さんは一部の粘着(複数ハンドル連投のいかにも単独っぽい)「聖書盲信者」さんに最低限のやさしい「再説明」はしてあげてるのにねえ。
    こんなに荒れてって(笑)荒らしてるの一匹じゃん。
    もともと本題ギャルソンから逸れた宗教云々のところに勝手に噛み付きワメいてるズレた来訪者相手に、本来そんな義理すら無いところだと思いますが??
    外野から眺めてると「クリスチャンってこんなふうに痛い奴が多いのか」って印象が増すだけだわ
    お疲れ様です

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