今回は前回「情熱大陸/green 大出由紀子~ファッションデザイナーという職業の疑問」の続きです。
さて、大出さんは何故ファッションデザイナーではなく、「洋服屋」を名乗るのでしょうか?
ファッションデザイナーとは映画で言えばプロデューサー的立場でしょうか。だからパターンが引けないからダメとか、デザイン画さえ書いてないとか、…必ずしもそういう技術的なことだけでは判断できない。結果的に素晴らしいデザインを作り上げられるなら、どんな体制だろうがかまわないと言えます。
常に流行を意識して、新しいものを生み出していくクリエイティブな職業…というのが、大方のファッションデザイナーのイメージでしょうか。
もちろんデザイナーズブランドとテーラーとは違うものです。が、同じようにファッションデザイナーと洋服屋も違うものです。違う物ですから、わざわざデザイナーが職人を名乗る必要はないわけです。(大出さんは明らかに職人的な意味合いで、「洋服屋」という言葉を使っていると思うので)
ところが大出さんはデザイナーではなく、わざわざ「洋服屋」と名乗っている…。
それは自信や自負心からくるものだけでなく、実は「挑戦」的な意味合いも多分に含まれているのではないか…というのが、今回のブログを書くきっかけでもありました。
洋服屋を名乗る以上、背負わなければいけない物があるはずです。そうでなければ、デザイナーに対しても、本当の洋服屋に対しても、失礼な態度となってしまうでしょう…。
「命懸けで洋服屋やってます」と言っておいて、テーラーとは比べないでくれ…というのも変な話ではないでしょうか?逆に彼女は比較されることを自ら望んでいるようにさえ思えるのですね…。
さて、デザイナーズブランドとテーラーとは違う物だから、比較すること自体が間違っている…というのは実は多少の誤解があるのではないかと思っています。
というのも優れたデザイナー達の多くが、(必ずしも本人自身が習得しているとは限りませんが)クラシックやテーラリングの重要性を非常に意識しています。それこそ枚挙に暇がないほどです。メンズだけでなくレディースに対してもテーラリングが重要だというデザイナーもいます。
アルマーニ、ポールスミス、オズワルド・ボーテング、サンディ・ダラル、マックイーンやポエルあたりは当然として、元々テーラリングに定評のあるクリスヴァンアッシュはわざわざテーラーデザインという新ラインまで始めていますし、川久保玲はメンズのテーマに関して、一貫して「クラシックの破壊と再構築」を基本としています。
そしてヴィヴィアン・ウエストウッドに至っては、「本来メンズの物であったテーラリングをレディースに持ち込むことによって、今のレディースファッションが出来上がっている」とまで言っています。(正確には英国のテーラリングと仏国のクチュールの融合によってと言っていたと思いましたが…)
(そして多くの一流ブランドが、スーツ等の作製をテーラリングに定評のあるサルトへ依頼しているという現状もありますね…まぁそれは話が違いますけど…笑)
かようにファッションデザイナーが意識し、行き着くところは、結局のところクラシックやテーラリングなのではないか…とさえ思えるのです。
なぜファッションデザイナーがテーラリングを重要視するのか、それはテーラリングがシルエットの構築に不可欠だからでしょうが、その実デザイナー達は「流行を生み出し流行に流される一過性の物作り」ではない物を、テーラリングに求めているのではないでしょうか?
そしてテーラーからは、逆にデザインの重要性が見えてくるのではないかと思います。
ありふれた言葉ですが、「テーラーとはデザイナーであり職人でもある」と言います。
下記のサイトでは、先に紹介したテーラー&カッターの有田氏を評して、こう言っています。
http://allabout.co.jp/mensstyle/mensfashion/closeup/CU20050226A/index.htm
「彼(有田氏)が他と決定的に違うのは勘が鋭いということ。美しいシルエットを追求していくうえで必要な勘が鋭いのである。センスといってもいいかもしれない。
テーラーやカッターという才能に加えて、デザイナーとしての資質に恵まれているのだ」と。
実はテーラーにとってもデザインセンスは欠くことができないものだと言えます。
多くのテーラーが斜陽化した背景には、技術だけにこだわり過ぎ、デザインを見失ってしまったからという部分もあるのではないか…と思えなくもないのですね。(←どっちなん?)
テーラーとファッションデザイナーとは違うものですが、それは相互に干渉し合い、行き着く先は交差しているのではないだろうか…というのは言いすぎでしょうか。
話を戻しましょう。
大出さんはこうも語っています。
「うちのお客さんの誰かが買ってくれたものが「捨てられない」と思ったりとか、古着屋さんにいつか並んで古着として良い感じで、みんなが良いと思って買ってくれるようなことになっちゃったらもう相当嬉しくって堪らないですよ」
その言葉には服が流行として使い捨てられるものではなく、それこそ愛着を持って長く着てもらいたいという想いが込められています。それは多くの人たちが持つファッションデザイナーのイメージとは違う物であり、逆にテーラーなどの職人の思想に近い物だと思うのですね。
私達は暗に、ファッションデザイナーとは「流行を生み出し、一過性の物作りをしている職業」というイメージを持っているのではないでしょうか?
そしてそのレッテルから逃れ普遍的なものを作ろうと思った時に、デザイナーはファッションデザイナーという肩書きを捨ててまで臨まざるを得ないとしたら…、そこには悲しい矛盾があるように思うのです。
苦言を呈するなら大出さんの言質にはまだまだファッションデザイナーどまりの観点も多いのではないかと思えるところもあります。
ただ今後ブランドが大きくなり、どんどん障害や軋轢が増えていく中で、それでも彼女は「洋服屋」を名乗っていられるのか…。
彼女の挑戦は今後も続いていくことでしょう。私はそれを素直に応援したいと思います。