恋人と親友のどちらか一人しか救えないとしたら、あなたはどちらを選択しますか?


心理学には有名な「トロッコ問題」というのがあります。

「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という命題です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C

今日はそれに似た問題について、考えてみたいと思います。
男性は女性から言われたと思って、女性は男性に質問したと思って一緒に考えてみてください。

あなたは、事故に合い無人島に取り残された親友(男性)と恋人を救出しに行き、偶然にも発見した。
しかしあなたのボートは二人乗り。
帰りの食料もギリギリの二人分しかない。
無人島にも食料はなく、残された方はほぼ確実に死んでしまうだろう。
どちらか一人しか乗せて帰れない状況におちいっている…。

この時、あなたは親友と恋人、どちらを救いますか?
リアルにそんな状況におちいったと思って、真剣に考えてみてください。


以下に考えられる回答例を書いてみます。

1.「恋人を救う」と回答した人

恋人からこんな質問をされ、「お前を救うに決まってるだろ!」と素直に回答できてしまう男性がいたとしたら、
それはきっと、カッコつけてるだけの薄っぺらい男か、結晶作用バキバキの盲目的にまで愛してしまっている男でしょうか。
どちらにしろ、親友を平気で見捨てられるという意味で捉えてもらってかまわない、という程度のことです。

2.「親友を救う」と回答した人

「申し訳ないけれど愛情よりも友情の方が大事だと思ってる。だからいざという時は親友を救う。すまない」
そう言える男性は、ちょっとは考えたのでしょう。
でも薄っぺらくないけれど、どちらにしろカッコつけてる男か、その女性に対して愛情が薄い男でしょうか。
どちらにしろ女性のことを平気で見捨てられるという意味で捉えてもらってもかまわない、という程度のことです。

何かを選択するということは、何かを犠牲にするということ。
この問題では、どちらを救うかよりも、どちらを見捨てるのか、というのが重要なんじゃないかと思っています。

3.その他の回答

「無理矢理3人で乗って帰る」とか「自分も残って3人で食料を分けて救いが来るのを待つ」とか、そういった回答をする人もいるでしょう。でもそれでは結局は3人とも死んでしまうことになるわけです。
でもそんな回答をする人は、結局現実社会では一人も救えない。選択する勇気がないとも取れますね。
何かを選択するということは、何かを切り捨てる覚悟がなければいけない。
例え架空の質問だとしても、そこでさえ選択できない人が、現実社会で一体何を選択できる覚悟があるのかは疑問です。

4.「両方救う」と回答した人

実はこの質問には隙があります。
二人乗りのボートなのだから、実は自分が残り、恋人と親友両方を救うことができます。

質問を聞いた時点でこの回答を導き出せる人は、聡明かもしれません。
そして自分の命より大切な物を、両方救う覚悟がある人なのかもしれません。
もしかしたら、聡明でかつ、狡猾な回答を導き出せる人なのかもしれません。

でも現実社会でも、自己犠牲の精神で、両方を救うことができるのでしょうか?
そしてもうひとつの問題として、この回答を導き出せることは、それだけの覚悟と聡明さがありながら、実は重大な想像力が欠如していると言えなくもない…ということではないでしょうか。


最後の回答です。

5.「親友を見捨てる」と回答した人

一見「恋人を救う」という回答と同じに見えますが、実際はまったく違います。
親友を見捨てる覚悟ができていて、そしてその人には、見捨てられることを覚悟できる親友がいるということです。

かつてまだ若かった頃、この質問を自分が親友に話したときに彼は即答しました。
「お前を見捨てるに決まっている」と。
その理由はこうでした。
「たとえ見捨てても、お前ならわかってくれそうな気がするから…」と。
そういってもらえて、自分はとても嬉しかったですよ。

自分がもし無人島に流れつき、親友が救いに来てくれた側の立場だったとしたら、
果たして親友の恋人を差し置いてその船に乗ることができるでしょうか?
いや、親友の恋人じゃなくてもよい、それが見知らぬ女性でも、子供でも、立場の弱い人だとしたら、その人を押しのけて自分だけ助かる道を選べるでしょうか?

拷問を受けて苦痛に苛まれているとかなら、苦痛から逃れるために人を見捨ててしまうかもしれないけれど。
でもそうではない。じっくり考える時間があり、苦痛による死ではない。
それでも人を見捨てることで生き延びた人生で、平気で生きていけるのか、一生後悔しながら生きていくんじゃなかろうか…と思います。

いや人間なんて、そんな痛みをすぐ忘れて日常に戻るし、いざとなったら平気で人を見捨てる…のかもしれません。
でもだとしたら、いやだからこそ、それを選ばないように志していたい。
実際には自分は自分の好きな人たちだけが助かればよいと思っている偽善者で、いざとなったら人を犠牲にしてしまう、逃げ出してしまう矮小な人間だと思います。

でもそれでも、親友の信頼を裏切ることだけは、絶対にしたくない。
自分で自分のことを嫌いになるようなことだけはなりたくない。
せめて親友とか女性の前だけではカッコつけていたいじゃないですか(笑)

人が言うように命は地球より重いのかもしれないけれど、命よりも、生きることよりも重要なことがあるのだと、自分は思っています。
だから自分は乗らないという選択を覚悟したい。
だから逆に自分の親友にも、乗らないヤツでいて欲しい。そういう人間でいて欲しい。それは自分の勝手な想いだけど、そう信じていたい。

だから自分もこう答えるようにしようと思います。
「すまないけど親友を見殺しにする。その罪を一生抱えて生きるつもり」だと。

「その理想は人間には遠すぎる」
だとしても、その遠すぎる理想を、こんな時期だからこそ信じていたいと、願っていたいと、そう思ってしまう自分がいます。

追記
この記事を読んで、「Alcesteさんカッコいい!素敵!抱いて!」というようなメールが一通でも来ることも願っています!(キリッ

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コメント

  1. よてい より:

    やばい、、、惚れた…w

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