コムデギャルソンの本質ってなんだよ!?


このブログは基本的に毒舌で批判的にいこうと思っているのと、やはりファッションについて語っていきたいと思っているワケですね。
ということで、今日はコムデギャルソン信者の話題ですよ~!

mixiのコムデギャルソンコミュを見ていたら、「最近のギャルソン嫌い 昔のギャルソンが好き♪」なるトピックが出来ていたわけですよ。
まぁなるほどなぁと思っていたら、途中、

「最近の若いヤツはギャルソンの本質がわかってない」

とか言い出してる人がいたんですよ。なんだ、それ?と。
まず、じゃぁお前はギャルソンの本質わかってんのか?と。みんなにわかるように説明してくださいよ。と思うわけですよ。

というか、昔の人も最近の人も、超ロングセラーの「詭弁論理学」くらい読まないんですかねぇ。
その中では、「「絶対的」「本当の」「本質的」なんて言葉は、詭弁みたいなもの」とハッキリ言われてるわけなんですけどね~。
同著はこうも言ってますよ。

「『本質的な』という言葉は『オレが言いたい』と同じ意味ではないかと私は疑っている。<中略>なにが『本質的』なのか、『本当』とはなんなのか、なるべく具体的な言葉におきかえさせることである」と。

と言うぐらいですね、本質なんて言葉は詭弁のようなものとして日常茶飯事に使われているわけですよね。
そしてこういう言葉を振りかざす人は、議論で追い込まれると「結局個人の見解の違い」とか「経験したことのない人にはわからないもの」とか、これまた究極の詭弁で逃げるわけですよ。こういうのはもう中二レベルのヘリクツですわ。
そんなヘリクツぶちかましておいて、議論に勝った気でいる、いいこと言った気でいるというね、もうそれだったらはじめから議論するなよと言いたいですよ。

おまけに例のトピックではこんな言葉まで出始めてるし。

「批判するやつは、じゃぁ自分で作ってみろよ!」って。

それって全く議論になってない、めちゃ強弁ですよ。そんな矛盾にも気がつかないのかなぁ。

それとなんでギャルソンだけ特別視してんのかと。アンタの意見は他のブランドにも当てはまるわけで、川久保玲だけの話じゃないでしょ。それをギャルソンだけを神格化して語るのは変じゃないかと。

というか、結局は「好き」ってだけの感情を、無理矢理ヘリクツこねて大仰に語ってるだけの人が多い気がしますね。まぁまさしく「オレのいいたいことと違うじゃねぇか!」的な。慇懃無礼なバキバキの上から目線も素晴らしいですよ!

全体的に偏ったギャルソン信者は、まさしく信者特有の盲目さと、思想的にも知識的にも狭量なんですよね。その信者っぷりが客観視できないところに、信者たるゆえんがあるのかもしれませんね~。

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