梅雨に生まれたその人へ


今日はある人の体験した話を書いてみたいと思う。

もうかなり昔のこと、今と同じ季節で、その日は土砂降りの雨だった。

その男は連れを送るために車を飛ばしていた。

丁度大通りを通過するときに、彼は反対車線の歩道に車椅子の少年がいることに気がついた。
車椅子の少年は雨合羽を着ていたが、土砂降りの雨の中にずぶ濡れでいたのだ。
どうやらタクシーを待っているらしかった。
彼は気になったものの、急いでいたのもあって通り過ぎた。

連れを目的地まで送りとどけ、帰り道。2~30分程過ぎた後である。
先ほど通った大通りを過ぎようとしたところだった。

そのとき彼は見つけたのだった。
まだ車椅子の少年が大雨の中でタクシーを待っていることを。


その大通りは引っ切り無しに車が通るし、タクシーも数分でやってくるはずだった。

彼は察した。少年が乗車拒否されていることを。
そして誰もが通り過ぎていたことを。

彼は車を止め、少年に話しかけた。
少年は病院へ行くためにタクシーを待っていたのだそうだ。

彼は「病院へ送っていきますよ」と言ったが、 少年は始め断った。
彼が頑なに送ることを伝えると、少年はすみませんと何度も謝って、承諾した。

少年を車に乗せるのは一苦労で、少年を後部座席に乗せる頃には、彼はずぶ濡れになっていた。

車で送る途中、彼は失礼だとは思いつつも、その少年に話を聞いた。
乗車拒否に対して、世間に対して、憤らないのかと。

世間は気づいていても平気で知らん振りをして、見過ごしている。
彼はそのことに少年がきっと憤慨していると、考えたからだ。

ところがその少年から返ってきた答えは、彼の予想とは全く異なっていた。
「タクシーの運転手さんも仕事が大変でしょうから、
自分なんかが乗ると迷惑かけてしまうと思います。
特に今日みたいな日は。
むしろ乗せてくれる人がいることにとても感謝しています」と。

車が病院へつくと、少年はありがとうございますと述べ、
彼へお礼として幾ばくかのお金を渡そうとした。
彼は断った。お礼はすでに貰っていると思ったからだ。
そして彼は知っていた。少年が決して楽な生活ではないであろうことも。

車から少年を降ろそうとすると、看護師さんたちがやってきて、手際よく対応してくれた。
少年は最後まで、彼に対してお礼を言っていた。

彼はこの日、雨が振っていてくれてよかったと感謝した。
彼の頬をつたうものを雨が洗い流してくれて、誰にも見られる心配がなかったのだから。


人は見ていないか、見ていても見ない振りをするのかもしれない。
誰かが悪いのだろうか。乗車拒否するタクシーが。見過ごす人々が。
それともそんな社会が。そしてそれを作ってしまっている全員が。
答えはない。きっと誰が悪いわけでもない。

ただ思うことがある。
その土砂降りの雨の中で、
びしょ濡れになったその少年に
傘一本差し出してくれる人さえいなかったのか?と。
何十分も、何時間も、何日も、何年も、ずぶ濡れで待つ人がいて、
そして何一つ変わることはないのかと。

この季節、今日みたいな雨の日になるとこの話を思い出す。

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