ファッションのバリアフリーとは?


「NO MUSIC,NO LIFE」

CMもされてるタワーレコードの有名なキャッチコピーです。
「音楽のない人生は考えられない」って意味を、これ以上簡潔に表現した文章ってないと思うほど、素晴らしいコピー。

でもよくよく考えてみると、このコピーって、世の中には耳の聞こえない人もいるんだってことを一切考えてない。
そういう意味では恐ろしいほどの欠陥コピーでもあるわけです。

言葉ってつくづく難しいもんだなと思います。でも人間はいつも五体満足なことをさも当たり前のように考えている、恐ろしく狭量な性格でもあるわけです…。

今日はそんなことを踏まえつつ、洋服のバリアフリーについて考えてみたいと思います。


バリアフリー、ユニバーサルデザインなんて言葉が浸透して結構たちますが、残念ながら服飾業界についてはそういった話はほとんど聞かれません。実はファッションデザインは五体満足を基本にしている、非常に排他的なデザインなんですね。

もちろんバリアフリーと称して身障者用の服装が作られていることは作られているらしいのですが、でも実際はそんな簡単ではありません。
毎年バリアフリー展というものが開かれ、それこそ機械類はめまぐるしい進歩を遂げているのに、ファッションに関してはほとんど考慮されていないのが現状なのだそうです。

しかもバリアフリーを意識した服というのは、いかに着せやすいか、着脱が簡単かどうかを意識するばかりで、介護側の人間の視点でしか作られていない物がほとんどなのだとか。
実際身障者の方の意見には、機能性を重視した服よりも、お洒落な服を着たいという要望が強く合ったそうで、現実とはかなりのギャップがあるといわざるを得ない…。

お洒落をしたい、その気持ちは誰にでもあるものだということを…。
それを再認識しない限り、本当のバリアフリーなんて物が出来るはずがないんじゃないのか?…自分はそう強く思います。

そんなスッキリしない考えを持っていたときに、ある本に出会いました。
服部晋の「洋服の話」という本です。

これが普通のお洒落指南本などと違うのは、著者自身が現役のテーラーであること。テーラーだからこそ出てくる本物の話が聞ける、珍しい内容です。その詳細は次回に譲るとして、この本の中の一章に、そのものずばり「バリアフリー」について書かれた部分がありました。

著者自身、身障者の服作りに尽力をつくしている立派な方なのですが、その著者の一言には、眼から鱗が落ちる思いでした。

「身障者用のデザインを作るのではなく、普通の服として良いデザインを行えば、それが身障者にもきちんと通用するデザインになるはずだ」と。
例えばパンツのポケットの位置を変えれば、それが車椅子の人だけでなく、車に乗る全ての人にも使いやすいデザインとなるはずだと。ハンディを意識させないデザインこそが、理想的な姿なのではないかという話でした。

紹介されていた身障者用のデザイン服の中には、ファスナーによって袖や身頃を分解できる洋服もありました。でもこれってアンダーカバーが発表したエクスチェンジのデザインと同じ発想じゃないか…と思ったわけです。優れたファッションデザインの中には、ハンディを負う人にとっても、優れたデザインとなりえる可能性がある…と感じたわけです。

デザインは無限の可能性を秘めています。だからこそファッションに関しても、本当の意味でのバリアフリーが出来ることを期待したいのです。

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