難解!キリスト教図像学…


日本とヨーロッパでは花言葉も違うのですね。ところがさらに西洋では、黄色い花全般に悪いイメージの花言葉がついています。

なんでか?っていうと、黄色は十二使徒の一人、イスカリオテのユダが着ていた色だからだというのですね。キリスト教下では、黄色は裏切り者の色、そのイメージが強く根付いてしまっているわけです。

まぁ未だに敬虔なクリスチャンが黄色を着ない…なんてことはないと思いますが…(笑)(モーゼも黄色い服で描かれること多いけど、それはどうなのよ?ってツッコミはこの際ナシの方向で笑)

こういう文化によって決まってくるイメージってありますけど、特に欧米では宗教の影響はかなり強い。当たり前といえば当たり前ですけど。


正典以外を禁止している宗教や宗派もありますが、キリスト教(カトリック派)は宗教画等を奨励していたようで、まぁ布教活動に熱心だったというわけでしょうけれど…。その結果芸術の世界にもキリスト教の宗教画は多く、特にキリスト教図像学というルールまで確立されてしまっています。

(図像学自体は宗教画だけのものじゃないのですが、ここでは一番有名というか、話しやすいキリスト教を題材にさせてもらってます…)

たとえば、有名なイエスに従う十二使徒や聖人達、彼らの多くはアトリビュートと呼ばれる自身を象徴する持ち物を持ってたりします。「竜の巻きついた杯」を持っていればヨハネ、「逆十字架」や「雄鶏」を持っていればペテロ、といったようにです。

でも普通に考えてそんなもん持ち歩いているわけない…というか思いっきり不自然ですよ、あんたら(笑)

多分「この二人キャラかぶっとるやんけ~、もっと個性づけしてかないとさぁ」ってな、漫画編集者のツッコミのような感じで出来上がったに違いない…そう勝手に想像するわけですが(笑) いや、というかきっと画家とパトロンの教会の間にそんなやり取りがあったからこそ、宗教画が盛隆を極めた気もします(笑)

ちなみに女性に百合の花持った天使が現れるシーンは、マリアの「受胎告知」以外にありえないそうで…。図像学というのは絵画という文化の積み重ねによって生まれたものなのでしょう。

図像学にしろイマイチ日本人には馴染みのないものですが、ヨーロッパのそれなりのクラスの人達?は、こういった芸術、音楽、演劇、文学といったメインカルチャーと呼ばれる分野をきちんと勉強させられるようです。ただ自分ら素人はそこまで堅苦しく考えるよりも、見て楽しむだけでもよいでしょうし。まぁ絵画鑑賞が趣味といいたいなら多少の勉強は必要かもしれませんが…。

でも作り手となったらそうはいかない。知らないではすまされない。のです。

絵描きなら当然過去の文化についても勉強し、何百枚もデッサン画を描き、巨匠の筆致を研究し、その上で見えてくる世界があるはずです。それは小説家だろうが、デザイナーだろうが変わらないはず。才能や個性、センスというのは努力した人間が口にするから許されるわけで、たいして努力してない人間が自分の才能がないとかいうのは、おこがましいとさえ思ってしまう。

まして前衛的だったり過去を破壊して新しい物を生み出すということは、過去の文化の重みを知るからこそすごいことだと思うんですよ。だから自分は「本物の」クリエイターには敬意を払います。

それはファッションも同じ。日本では軽視されていても、ヨーロッパでは文化として扱われているわけです。(別に西洋が偉いといってるわけではないですけど)西洋人は小さい頃から着こなしを身に着けるから、逆に着崩してもお洒落に見えるのでしょうね。

でも日本のファッション関係者は、意識が低すぎると思わずにはいられない。

雑誌でも特集を組まれる超有名スタイリスト。老舗テーラーでフルオーダーした三つ揃いのクラシックスーツを、颯爽と着こなす写真が載っていました。ベストのボタン一番下までバッチリ止めて…。(ベストの一番下釦は必ず外すものなのです) でも一回ならず雑誌で何回も見かけたので、きっとホントに知らないのかもしれませんね…。リクルートルックの子供じゃないんだから…とガックリです…。

確かにモードのコレクションなどでは、シルエットを強調するためにあえてJK全ボタンを留めたりしてますからね。別にルールにがんじがらめになる必要はないのはわかりますが、センス良ければ関係ないってのはどうなんでしょうか。情報を発信する側がこんな意識が低くてよいのだろうか…とも思ってしまいます。

せめて礼をつくすべきクラシックスーツの着こなしくらいは、まともに着こなして紹介してもらいたいです。

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