ファッションと客観性


ファッション指南書に必ず書かれているお洒落上達への近道、それは「姿見(全身鏡)」を買うことだそうです。

消費社会学者のジャン・ボード・リヤールは、「百貨店は店内を鏡ばりにすることによって、洋服の売上げを増大した」と言っています。

初めてそれを聞いた若い頃は、「ま~た、偉い学者はすぐコジつけたがるからさぁ」って思ったもんですが(笑)、いやいや、よくよく考えてみるとその通りかもしれないと。

つまり鏡という客観性に無理やりさらされることによって、自分を省みた結果、ファッションの購買意欲を増進させたということなのでしょう。

普段自分の姿はわからないけれど、鏡を通し自分自身を客観的に見ることによってわかるものもある。鏡で確認するとわかるのですが、意外と想像していたイメージと実際のコーディネートがずれているときも多いですしね。

似合う似合わないとか、シルエットの組み合わせ等を客観的に確認することはファッションにとても有効です。

そして、客観性によってお洒落は上達するものだと思います。


特に自意識過剰な自分は、街中で鏡を見ると人知れず今日の服装をチェックしてたりします。パンツの丈と靴はあってるかとか執拗にチェックしたりして…。

その鏡に見入っている姿がキモい…と注意されたこともあります。これじゃ本末転倒ですね(笑)

でも客観性が重要なのはファッションに限ったことじゃありません。

自分自身の人間性。しいては社会性を身に着けるためには客観的な視点は必要不可欠といっていいはず。

しかし自分自身を客観視するってのは中々難しいわけですよ。「我は我なり!」なんて自信もって言えるのは一部の天才達だけです。(もしくは狂人ですか…笑)

その上この世には、心を写してくれる鏡なんて物は存在しないわけですからね。もしそんなもんがあったら、逆に汚いものが見えてしまって困ったりしそうです…(笑)

昔から思うのですが、自己紹介で自分のことを客観的に表現できる人って、親友が多い人だと思うんですね。

結局自分のことさえ、自分自身ではわからないことって多い。他人という鏡を通して、始めて気づく自分らしさってのもあると思うんですよ。(逆に親友のいない奴に限って、自分のこと勘違いしていること多かったり…失礼)

そういう意味では親友の多い人ってのは、客観性を養える恵まれた環境なのだと思うわけです。

生まれながらにしてセンスのある人は別としても、努力してセンスを磨いた人っていうのは、人間的にも出来てる人が多い気がします。自分自身を客観視できる人ってのは、お洒落にしても人間性にしてもどんどん磨いていけると思うのです。

それにやっぱりお洒落な人には人間的にも人格者であって欲しいと思ってしまう部分はありますね。

まぁ人生けしてファッションが全てじゃないわけで、「あの人お洒落だけど、性格がちょっと…」と思われないように、注意したいもんです(苦笑)

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