ファッションは自己満足なのか?


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ファッションが自己満足かどうか、多くのファッション掲示板やブログであがるこの話題…。

「ファッションは自己満足なのだから、何を着ても許される」と答えるている人が多いのですが、 それってどうなんでしょうか?

ちょっと話は飛びますが、「トムソーヤの冒険」で有名なマークトウェインは、「人間とは何か?」という人生論の中で、自己満足について論じています。要約するとこんな感じ…。

「人間のやることは全て自己満足であり、その善悪や他人を傷つけるかどうかはあくまで二次的な原因にすぎない。たとえ自己犠牲の精神の持ち主だとしても、それは結果的に人助けになっているだけで、実際は自己犠牲することによって本人が安心できるという自己満足に過ぎないのだ」

(まぁ当たり前のことを論理的にわかりやすく書いてくれているので、読んでも損はないと思います)

ということを踏まえても、ファッションに限らず、人間のやることは基本的に全て自己満足なわけですね。

けれどそれと良し悪しは別で、法やマナー、そして社会に属するがゆえに自己満足でやることが全て許されるわけでもない。

だから「ファッションは自己満足」で良い場合もあるけれど、社会生活を営むために自ら制約する必要もあるわけですね。
冠婚葬祭では正装し、商談ではスーツを着て、挨拶するときは帽子をぬぐ。そしてデートの時に(限らず?)清潔感を心がける(笑)

形骸化しようが礼儀作法は元々相手への思いやりなわけで、そこまで自己満足、「自分勝手」で良いわけがないのです。


「ファッションは自己満足だから、似合うかどうかなど関係なく、好きなものを着ればよい」ものだとしたら、
コスプレや女装なんかもファッションと認めてるってことなんでしょうか?

「ファッションは自己満足だから、他人の評価など関係ない」ものだとしたら、
逆に他人からダサいなぁと思われることも気にしないってことなんでしょうか?

その感覚は常人の意識を脱していると思わずにいられません。
(他人を意識できないというのは、完全なコミュニケーションの欠落じゃないのでしょうか?)

「ファッションは自己満足」と言い訳するのは、電車の中でハナクソほじってるオッサンみたいなもの。
誰にも迷惑かけなければ、公衆の面前で何をやってもいい…というわけではないのです。

ファッションが自己満足ではないと気付くとき、人は他人の存在を知り、そしてマナーの重要性に気付くのではないでしょうか…。

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