ファッションにおけるリアリティとは?


小説や映画など、全てのクリエイションにとって、リアリティとは必要不可欠な要素です。

ホラー小説で超有名なベストセラー作家のディーン・R・クーンツは、その著書「ベストセラーの書き方」でこう述べています。「小説に最も大切なのはリアリティである」と。

彼は自著で現代日本の京都を舞台にしたとき、そこに走るタクシーのペイントラインの色まで調べるために、わざわざ日本に取材にくるほどリアリティを重視していました。ちょっと異常なくらいですね(笑)

「ジョジョの奇妙な冒険第4部」に登場する漫画家の岸部露伴は、同じく「作品を面白くするのはリアリティだ」と断言していました。

この台詞の元になっているのは、多分アントン・チェーホフの戯曲「かもめ」でしょうか。そこに登場する売れっ子戯曲家が、リアリティを作品に生かさなければならないというプレッシャーに追われていることを独白するシーンがあります。この台詞はチェーホフ自らの心情を語っていると言われています。

作品を作る人間が、そこまでリアリティにこだわる理由は、リアリティが作品を面白くし迫力といろどりを与えることを知っているからです。例え絵空事を描いたファンタジーだとしても、いやむしろ絵空事だからこそ、リアリティが生きてくる。逆に言えばリアリティの欠落した作品ほどつまらないものはないのです。

しかしそのリアリティは、小説等だけに含まれるものではなく、全てのデザインにも同じことがいえると思います。それはファッションも例外ではない。ファッションにおいてもリアリティは重要だと思うのですね。


ファッションのリアリティとはなんなのか? それは着る人のライフスタイルと密着していることでしょうか。

かのグッチの元デザイナーのトムフォードも、デザインには常にリアリティを意識しているといっているくらいです。

で、最近の自分がファッションのリアリティについていつも考えるのは、その服を着て食事をしているイメージがわくかどうか、なのですね。

経験上、いくらかっこよくても食事風景の思い浮かばない服は、結局着る機会が少ないんですよね。

それと正直全身ヴィヴィアン着ている少女って、どこでなに食べてんだろう…という疑問もあるわけです。(うどんは決して食わないだろうし…笑)

そしてその服装に合った食事場所ってのもあると思うんですよね。

同じく全身ギャルソンで決めた兄ちゃんが、マックでハンバーガー食ってるの見かけると、ちょっと悲しくなってくるってのはあります…。せめてモスにすればいいじゃないの…(え?たいした違いはないって?笑)

で、実際自分の好きな食べ物の中で、一番譲れないものがあるとすれば、それは蕎麦!

自分は本格蕎麦が大好きなんですね。つなぎを使わない十割蕎麦、当然本わさび…。

紅葉の中、酒と、さびのつーんときいたつゆに蕎麦の先を少しつけて、一気にすする。こんな風流な感じが大好きです。

でもそれに合うようなデザイナーズの服って、ワイズの服くらいしか思いつかないんですよね…。

日本の粋な食事にあうデザイナーズの服って、意外と少ない気がします…。

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