今年もクールビズの季節がやってきました。
うちの職場も去年から導入されましたが、実際にはスーツじゃなくてだらしなくなった人と、逆に変に気張りすぎた人と極端に分かれてしまった気がします(笑)
クールビズという発想自体には賛成です。
地球温暖化、今や東京砂漠を地でいくわけで、シャレじゃなく死人が出ます…。
人前で上着は脱がないのがスーツのルールだとか言ってクーラーガンガンにつけるオッサンは、ひざ掛けまで使ってる冷え性女性への配慮が足りなさ過ぎる!環境にも無関心ですか?
そりゃスーツの着こなしは大切です。でもこの亜熱帯化した東京で、気候も湿度も違う欧米のルールを無理やり踏襲するのはどうかと思うのです。見た目の紳士を追及するよりも、心も紳士的であって欲しいわけです。
ただ、スーツ反対かというとそういうわけでもない。
だいたいスーツには男を最もかっこよく見せるための、最大の英知がつまっているわけですよ。ネクタイすれば、とりあえずさまにはなるワケです。
ところがそのスーツでさえ似合わないオッサンが、カジュアルなんて着ようものなら…目も当てられなくなるのは自明の理…。う~ん。
でもカジュアルだってお洒落に見せる方法があるわけですからね。(要は着こなしの問題ですか…?)
ところがそんなクールビズが、服飾業界に波乱を呼んでいるらしいのです。
カジュアル服の需要が増加するだろうと喜ぶ一方で、ネクタイ業界は売り上げ激減を危惧して反対しているらしい…。
でもそれって元々危機感が足りないんじゃないでしょうか?
タケオキクチのデザイナーに就任したタイシノブクニのインタビュー記事にて、
「将来的にビジネスとしてのスーツはなくなってしまうかもしれないが、ファッションとしてのスーツは残るだろう」と。 それゆえにデザイナーとしては、ファッションとしてのスーツを提案していく重要性を感じているというこでした。
確かにビジネスでスーツを着るという文化は、いつまでも残るとは限らない…。
昔の日本では葬式の正装は白い着物でした。ところが白では汚れがつきやすいし目立つので、販売側が黒の着物を推奨したら人気になり、それが定着してしまった…という話もあります。
実用性によって、文化や冠婚葬祭の作法(装い)さえ変わってしまうこともある…。
でも作法が変わっても、礼節は変わらないと信じたい。その心意気は無くしたくない…と思うわけです。
装いは自分のためだけではなく、相手のためでもあるということ。社会生活を営む社会人なればこそ、スーツは最も礼をあらわす装いなのではないかと。
クールビズによって、スーツとは何かを改めて再認識したのでした。
だいたい仕事の能率だけを考えてよいなら、それこそ真夏に海パン一丁でデスクワークするほうが涼しいに決まってますって~(笑)